【開拓の言葉】北海道と徳島
2024年05月29日
北海道と徳島の歴史的関係は古く、深い。江戸時代、阿波に隆盛した藍(あい)には北海道産の鰊メ粕などの魚肥が不可欠であった。この輸送には蝦夷地と上方を結ぶ日本海まわりの北前船が利用され、阿波と蝦夷地の交流は緊密であった。江戸時代後期に活躍した高田屋霧兵衛は阿波藩の淡路出身である。徳島県人で活躍をした嚆矢には、幕末の樺太探検で著名な岡本偉庵(監輔)がいる。北海道開拓使の判官として樺太開拓に従事する。開拓使次官黒田清隆と対立して破れ、北海道を後にしたが、後続する徳島県人の北海道移住に与えた影響ははかりしれない。
概していえば、徳島県人の北海道移住は、特に開拓初期の段階において質量とも大きな役割を果たしたといえる。先述したもの以外にも、興産社をはじめ北海道各地における製藍事業、日本屈指の大農場となった蜂須賀農場、北海道新聞の元を築いた阿部興人や阿部宇之八をはじめ、各分野での徳島県人の奮闘ぶりには目を見張るものがある。その積極的な活動は「起業精神」に満ちており、明治初期の活力のあった時代の徳島県人の意欲的エネルギーを彷彿とさせる>『北海道開拓と徳島の人々』2000・徳島県立文書館